藤沢周平の本を読んでいて、「人のことはよく見えるのに、自分のことは見えない」というような場面が出てきました。
どんな人でも、そんな部分は持っているんだろうなあ、と思うんです。
先日、ある人と話していて、その場面を思い起こさせるようなことがありました。その人は、自分のことをよく知っているようで、私から見れば「そうじゃないんじゃ・・・、あなたのやりたいこと、やるべきことはこうなんじゃ・・・」と思うのですけれど、それを指摘したところで、素直に受け止められないみたいで。もちろん、私の意見を真っ向から否定しているわけではないのですが、一番その人にとって痛いところを、私がついてしまったのでしょうたぶん。しかしおかしなもので、その人にとってはほかの人のことはよく見えるみたいで。
それでも、私が指摘したことで、その人と私の意見が決定的に「違う」部分が浮き彫りになってしまい、お互いにちょっと微妙な空気が流れてしまいました。ひとつ違えば、二つも三つも違う部分が見えてきて・・・ああ、もうお互い意見を言い合うのはやめよう、という空気にまで。まあ、取り繕うのは大人の対応ですましましたけれど。
指摘されて、素直に聞ける人でありたいなあ、と思うわけだけれど、きっと「聞けない」ということも、これから出てくるのだろう。自分の心がそうさせない、というときが。私も友達にいわれて「いや、そうじゃないんだ」と思って、いったんはかたくなに否定してみたけれど、「あ、言われてみればそうかもしれない」と思うまでに時間がかかることがある。あるいは、「そうじゃない」と思い続けることもあるかもしれない。
指摘してくれる友達がいるということ。自分が迷ったときや停滞しているとき、「ここがあかんねん」と言ってくれる人がいるということ。そのときは素直に聞けなくても、そういう友達の大切さに改めて気づかされた出来事でした。