'Teachable Moments' Of Jeremy Lin Slurs Should Have Already Been Taught
アジア系の(しかも、アメリカ生まれの)NBA選手がこれだけの注目を集めることは、アジア系の人たちにとっても非常にうれしいことで、あらゆるウェブサイトやブログで取り上げられています。しかし注目されたらされた分だけ、人種差別発言などが必ず上がってくるのが、これもアジア系の悲しい宿命かなあ、というところでもあります。「アジア系が活躍しない」ことが当たり前だったので、飛びぬけて活躍してしまうと、ものすごく「奇異なもの」としてみられる傾向がある、というか。ジェレミー・リン選手本人が何度も言っていますが、「自分は自分のやらなければいけないことをしただけ。自分は何も変わっていない」というのは、本当だと思います。注目する側が、勝手に盛り上がって彼のシンデレラ・ストーリーに夢中になっている。彼は普通にどこにでもいるアジア系の青年だということを、忘れてしまってはいけません。
彼の活躍で、アジア系に対するイメージそのものが少しでも変わったらいいとは思います。しかしハーバード大学出身ですから、絵にかいたようなモデル・マイノリティ。しかも二度もチームから解雇されたどん底から這い上がってきた、というサクセス・ストーリーは、アメリカ人は大好きです。ここで「努力すれば人種や民族に関係なく報われる」というアメリカン・ドリーム神話が膨らんで行くでしょう。彼が活躍すればするほど、モデル・マイノリティのイメージが作り上げられていくと同時に、人種差別的な発言も浴びせられる(可能性が高くなる)という、あまり嬉しくないこともある、と思います。
先日angry asian manで紹介されていたコラムには、ジェレミー・リンが高校生の時から自分のエスニシティを理解し、<人種的な>ニックネームを自分でつけていたことが書かれています。彼自身、アジア系が多いベイエリアでもパロアルトという特殊な環境で、自分のエスニシティについて意識しながらバスケットを続けていたのが分かります。
A Question of Identity: The headline, the tweet, and the unfair significance of Jeremy Lin
そして、熱狂的な「リンサニティ」が少し冷めてきて、だんだん彼の活躍から発展して、冷静にアジア系全体の問題にも触れたコラムも上がってくるようになりました。
Commentary: For Chen and Lew, Linsanity Came Too Late
もちろんジェレミー・リン選手の活躍にはこれからも期待したいですが、これがアジア系イメージを変えるだけでなく、アジア系自身が自分たちのイメージ(あるいは、自分たち以外によってつくられたイメージ)について考えるきっかけになっていくんじゃないかなあと思います。
最後はおまけ:「どうしてリンサニティはあるのに、ヌエンサニティじゃなかったか?」というショート・クリップ。1999年から2005年にかけて、テキサスで活躍したベトナム系アメリカ人NFL選手のダット・ヌエンはどうして注目されなかったか検証してます。

















